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石郷岡病院事件 弟のこと

経緯



大学2年…法政大学(社会学部)の近くにある相模原市から夏に帰省。落ちこむことがあるため親が精神科受診を勧める。診断結果は医師にも判別がつかず不明。ノイローゼでしょうとドグマチールを処方される。



大学3年生(2001年)…通学に便利な八王子市のアパートに引っ越す。帰省時に更にストレスがあるということで、暫く大学を休学し実家で療養をすることになる。バイトなどをして過ごすが、大学へ復学。千葉県中央部から大学まで通学するも無理がたたり親に無断で退学届けを出す。
市原鶴岡病院受診。うつ病でしょうとのことで、パキシルを処方される(9月下旬)
その年の11月下旬、近所で引っ越しがあった際に弟が煩いと引っ越し業者を殴ってしまう。本気で殴ったわけではないため引っ越し業者の方に怪我はなかった。事件化せず。
このような事件を起こしてしまったため、再度、市原鶴岡病院を受診すると、統合失調症だろう、との診断。(但し両親の記憶が曖昧なため本当に統合失調症と診断されたのかは不明。入院時の診断書にある病名が違うからだ。詳細は下記の市原鶴岡病院の記事をクリックしてご覧ください)
因みに弟は幻覚も幻聴もなかったのだが、医師はわからないなぁ、と首をひねりながらも他人を殴ってしまうのは統合失調症だろうとした(ようだ)
リスパダールを3日分処方される。
リスパダール服用1日目で錐体外路症状である急性ジストニアが発現するも、医師の指示は水を多く飲ませてください、のみ。
リスパダール服用3日目に父と散歩中に突然エビぞりになり苦しみだし泡を吹き、2次救急病院へ救急搬送。
その後、市原鶴岡病院を再受診すると、薬の副作用が強いようだから家では大変でしょう、入院しましょうということで入院となる。




★最初の病院へ入院した理由は、処方された向精神薬の副作用のため。



入院初日から多剤処方開始。
☆詳しくはクリックしてご覧ください→市原鶴岡病院



★診断書及び入院の記録では、病名として統合失調症ではなく「心因反応」または「対人恐怖症」



(2002年)年が明け突然の四肢拘束(3週間続く)理由は医師の指示書によれば自殺企図があったためということだが、拘束指示書を見るとベッドの下に頭を入れ、死ねというのが見える?聞こえる?と言っていたことが自殺企図とされたようだ(多剤処方の副作用だと確信している)
☆詳しくはクリックしてご覧ください→市原鶴岡病院・続き

多種多様の向精神薬投与を受けた結果、首が斜頸し薬剤性ジストニアを発症。
☆詳しくはクリックしてご覧ください→市原鶴岡病院での投薬記録



★入院5か月の間になんと17種類、入院直前を含めれば19種類もの向精神薬の投与!



薬剤性ジストニアを発症し、このまま市原鶴岡病院では診ることができないということで、千葉大附属病院へジストニアの治療のため転院。

ボトックス注射を受けるもジストニアは改善せず。千葉大での診断も統合失調症。
ジストニアの治療と併せて向精神薬を数種処方される。
結局治療の成果もないため退院。以降、自宅療養。



(2006年秋)再度、千葉大へ入院。この時電気ショック療法を勧められ1クール受けるもかえって状態が悪化したため千葉大の勧める2クール目は受けず2007年退院。認知が酷くなり会話が成り立たなくなることが増え、トイレに間に合わなくなり失禁するようになる。退院時、診察に寄った石郷岡病院の院長自ら弟を診察し統合失調症ではないとの診断。つまり、市原鶴岡病院の最初の診断は誤診であった、ということ。
以後、自宅療養。



(2011年9月)父が弟を自宅の風呂へ連れて行こうとしたら怒って父の顔面を殴ってしまう(しかし直後心配そうに父の肩をたたく)
父が入院し、母が1人では面倒を見るのが不安だということで保健所に相談し、医療保護入院として石郷岡病院へ入院。石郷岡病院での診断名は広汎性発達障害(これも弟の恩師や一部の有識者曰く、発達障害は見られなかった、若しくは多剤処方で変わり果てた姿を診断したに過ぎない、という)

(2011年10月)面会に行った父が弟の目の周りが痣になっていたのを病院スタッフに確認すると「風呂でちょっと」という答え。

(2011年11月)石郷岡病院医師より退院の打診があり。
父が退院する前にトイレトレーニングをお願いすると医師は「トイレがあるのは開放病棟と隔離室だけなので、隔離室で様子を見てトイレ訓練をさせましょう、ということでトイレトレーニングのために隔離室へ移る。



★隔離室への移動は、暴れるからではなくトイレトレーニングのため。これについては病院関係者も認めている(カルテ記載及び証拠あり)巷の一部で錯誤されているように、決して「暴れているから隔離室」ではない。



(2012年1月1日16時過ぎ)石郷岡病院の准看護師である菅原巧と田中清が、おむつ替えの際、弟の顔面等を踏みつけるなどして暴行をする。

(2012年1月2日)石郷岡病院のスタッフは首から下が麻痺、閉尿した弟の異変に気づくも隠ぺい(いずれ明らかにします、証拠あり。公判でも明らかになるはずです)または放置。
午前中には診察がないにも関わらず著変なしとカルテに記載(当該医師は判明。いずれ明らかにします)
午後は麻痺や閉尿にも関わらずまともに検査せず(石郷岡病院は神経内科も標榜している

(2012年1月3日正午過ぎ)当日出勤してきた石郷岡病院の当直医(他病院からの派遣医師。精神科医ではない)の判断で、3件目の打診先である帝京大学ちば総合医療センターへ救急搬送される(千葉大附属病院、某病院は受け入れ拒否)
病院到着後、検査の結果頚椎骨折、頸髄損傷が判明する(MRI画像から血腫が広がっていた)
HCUへ入院。首から下の四肢麻痺が判明。
呆れることに、民事裁判において石郷岡病院は弟の怪我が重症化したのは、帝京大学ちば総合医療センターの過失であると主張。

(2012年1月4日)昼過ぎに突然の心肺停止10分。HCUに救急救命医はじめ医師が数人居合わせていたため、辛くも蘇生する(少しでも遅れていたら亡くなっていただろうと医師に言われた。以降亡くなるまで呼吸不全が数度あり)


★石郷岡病院から救急搬送翌日の2012年1月4日に心肺停止。亡くなったのは2014年4月だが、そもそも搬送直後から生死にかかわるレベルの重症であった。



(2012年6月)療養病院併設の**病院(この病院については公判後、落ち着いたらいずれ書きたいと思います)へ転院する。何度か肺炎及びMRSAに感染し衰弱、危篤状態、呼吸不全になる。

(2014年3月31日)36度目の誕生日。

(2014年4月28日)肺炎による呼吸不全により永眠(享年36歳)





以上が弟の亡くなるまでの経緯です。
特に言いたいのは、弟が粗暴なために隔離室にいただとか、2012年1月1日の報道された監視カメラ映像を見て暴れてる、興奮して暴れてしかも隔離室にいたのだから相当な患者だったのだろうという偏見をもたれることは困ります。
また石郷岡病院も粗暴であると言っていますが、看護記録等からはどういうわけか菅原容疑者が記入する時だけ「抵抗す」「抵抗なし」と書かれています。これはどういうことか?(他のスタッフはあまり書いていない)
何が言いたいのかと言えば、あの映像にあるような患者への扱い(座っている患者をいきなり引き倒す、暴れてもいないのに膝や足を使い抑制する、寝かせておむつ交換と同時に食事等。他にも実は警察の証拠にありますが今は書けません)だからこそ、患者側も抵抗せざるをえないのではないかということです。
隔離室というのは弟の場合は特殊なケースだと思いますが、一般には不穏な患者さんの入る場所です。
ただ弟の場合はトイレトレーニングのためでしたので興奮して動き回ったりしていなかったことは確かです(証拠証言あり)
また、石郷岡病院スタッフによる医療行為とも介護行為ともいえない患者への虐待行為について、驚くべき真実をいずれは証拠を元に記事を書きたいと思っています(公判以降になってしまいますが。または公判中に出てくる可能性が高いです)
そしてこれらのことは、石郷岡病院がいかに杜撰な病院であったかを示すことになるでしょう。
現在までも事故調査委員会も設置せず、何らの謝罪もせず、遺族に説明もせず知らぬ存ぜぬを貫いていますので、推して知るべしですけれど。
いずれ民事裁判等で石郷岡病院の主張している内容が崩れることは間違いのないことですので、まずは刑事裁判を早急に行っていただきたいところです。
しかし菅原、田中容疑者の弁護士達がことごとく証拠採用を拒否している関係で、なかなか公判を開けないようです。
そのため現在は証人の整理をしているそうです(検察談)とはいえ公判は今年の11~12月を予定しているそうです(ずれる可能性が高い気がしますが)
早く真実をみなさまに伝えたいです。
真実が明らかになることで、事件の抑止力になることを祈ってやみません。

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ある精神科医の意見書

以前、ある精神科医に意見書を書いていただきました。
病院の精神科部長や教授を歴任されている方です。
今日は一部をご紹介いたします。
なお、固有名詞などの一部は伏せてあります。



〇〇陽の医療について精神医学的見解

私は、〇〇氏より、2012年1月1日頚椎損傷し、2014年4月28日に死亡した〇〇陽(1978年3月31日生)の精神状態について、精神医学的診断を求められた。
よって、①市原T病院、〇〇医師による千葉大学精神科・〇〇医師宛の診療依頼書(2002年5月30日付)、②千葉大学精神神経科医師〇〇記述の病歴記録、③桜ヶ丘K病院宛の石郷岡病院精神科医師三宅俊樹による紹介状(2006年2月6日付)、④被告・石郷岡病院訴訟代理人弁護士松岡浩氏と弁護士浅田真弓氏による、石郷岡病院における診療経過を主に述べた準備書面2(2013年7月3日付)、⑤石郷岡病院入院時カルテの各コピーを読み、〇〇陽がうけた医療について検討する。

Ⅰ 抗精神病薬の副作用について
市原T病院受診当初より診断がでたらめであり、そのでたらめさに対応して、場当たりに投与された向精神薬の副作用により、〇〇陽の対人疎通性が悪化していったと推測される。
まず、市原T病院の〇〇医師によれば、2002年9月20日の初診において、「表情変化乏しく、反応鈍く、抽象的あいまいで、連合弛緩した言動が目立つ。関係妄想の存在が疑われる」と書いている。簡単な記述であるが、「連合弛緩」はE.BleulerがShizophrenie(精神分裂病、今日の日本訳で統合失調症)の最も特異的な思考障害として、鑑別診断の基本とした症状である。(なお、連合弛緩は思考の障害であって、連合弛緩した「言動」とは言うべきでない。)「関係妄想の存在が疑われる」と書かれているが、その妄想内容は書かれず、関係妄想を持っているのではなく、なぜ、「疑い」なのかも、書かれていない。
ともあれ上記の記述では、精神分裂病の診断が第一に選択されるにもかかわらず、「抗うつ剤投与で経過をみていた」と続く、でたらめな処方であり、薬品名は書かれていないが(注・SSRIのパキシルです)、もしSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などが投与されていた場合、情動鈍麻、無関心、無気力、衝動抑制の欠如などの作用が出ていたかもしれない。これら薬理作用に加えて、医師とのコミュニケーションがとれていない場合(本件も該当)、自分の精神状態の不快な変化をどう理解すればよいのか分からなくなり、困惑し、怒りやすくなったりする。この様な支離滅裂な医療について、その後の治療にあたった千葉大学精神科および石郷岡病院の医師も問題にしておらず、市原T病院からの紹介状をそのまま写し取っている。
その後、市原T病院は、危険な副作用が多いため極めて慎重に処方しなければならない「新世代(非定型)抗精神病薬」であるリスパダールを投与し、すぐ「振戦、首が曲がってしまう」という激しい錐体外路症状を患者に与えた。リスパダール投与は中止されたが、約一か月後、再び新世代(非定型)抗精神病薬であるジプレキサ(リスパタール、ジプレキサ、セロクエルともに新薬として薬剤価格が極端に高く、旧来から使われてきたセレネースの40倍薬価値の高い薬もあり、なかには製薬会社がマーケティングに最も力を入れてきた薬である)を投与している。そのためか、遅発性ジストニア、痙性斜頸になったのか、精神症状も悪化し、苦しんで「1月14日、ベッド柵に首を入れて、自殺企図」に到っている。以来、斜頸は改善せず、患者を苦しめ続けることになる。その後も何故か、市原T病院は、同じ様な多彩な副作用をもつ新世代(非定型)抗精神病薬のセロクエルを投与しており、「下腿の浮腫も出現、セロクエル減量し軽快する」と書いている。
結局、2002年5月末、市原T病院は、抗精神病薬投与がもたらした結果に対応できなくなり、千葉大学精神科に治療を委ねるに到った。
千葉大学では普通に、精神分裂病妄想型と診断され、斜頸についても「薬剤誘発性の遅発性ジストニアの可能性が高い」とし、上記抗精神病薬による悪性症候群、痙性麻痺を改善するためにダントロレンナトリウムが投与されている。筋肉が硬直し固縮した斜頸に対しては、BOTOX(ボツリヌス毒素)注射によって、ある程度の局所症状改善はみられたようだが、精神症状は良くならず、大学附属病院としての性格もあり、「家族の意向もあり」半年ほどで退院となっている。

Ⅱ 統合失調症の予後について
石郷岡病院へ診療が移って後、三宅俊樹院長による診断も理解しがたいものになっている。桜ヶ丘K病院〇〇医師にあてた紹介状によると、〇〇陽との対話形式から、「よく私も知りませんが」とことわって、「アスペルガー症候群などの発達障害も一応は念頭において経過を見直すべきか」と書いている。「よく知りもしない」のに、何故「念頭におく」ことができるのか、曖昧な文章である。
アスペルガー症候群を含む広汎性発達障害(あるいは自閉症スペクトラム障害)は、小児期に発症し、社会的な相互交渉およびコミュニケーションの障害と、反復的・限定的な関心興味の持続によって特徴づけられる中枢神経系の障害と定義されている。これまで普通に成長し、高等学校を卒業し、法政大学にも進学した人を、あえて発達障害の疑いと強調する必要はない。
それよりも精神科医として最も重要なことは、病者の一見まとまりなく見える言葉、行動の意味するものを想い、話しかけ、理解しようとしていく努力である。
(中略)
彼の人間性を理解しようとする精神医学的看護があることを、教えられることもない。その帰結として、2012年1月1日の事件は起こったと言えよう。
この様な患者の人間性に関心をはらわず、生活の調教にしか係ろうとしない視点から、損害賠償請求の民事裁判においても、〇〇陽が生涯入院していなければならない患者であり、稼得可能性はないという主張が出てきたと考えられる。
本件で統合失調症は、不治の病気であるという説が、石郷岡病院の理事長を兼務する、教育・研究職にある大学教授によってあえて唱えられたことに、精神科医として唖然とする。
(以下専門的な話)






プロフィール

gunter75

Author:gunter75
このブログは姉である【私個人】がやっています。



●プロフ画像は、弟が薬剤性ジストニアになったあと、友人たちがリレーで色紙を書いてくださり、お見舞いの時にいただいたものです。



●医療法人 石郷岡病院を許しません!!
絶対に諦めません!!(2015/12/31現在、病院からの説明・謝罪等は一切ありません。2012/1/4以来全く接触もありません)


●事件の流れ
2012/1/1石郷岡病院の2准看護師が弟を暴行→1/2朝には病院側は異変に気づきながらも放置。診察もしていないのにも関わらずカルテに「著変なし」、1/3昼過ぎ救急搬送→1/4一時心肺停止するも蘇生→2014/4/28療養先の病院で息を引き取る→2014/4千葉県警千葉中央署捜査第一課捜査開始→2015/7/8石郷岡病院の暴行した2准看護師逮捕→2017/3/14 千葉地裁(高橋康明裁判長)は、正当な医療行為として田中氏無罪、菅原被告に罰金30万の不当判決(公訴時効成立の暴行罪)を下した→3/28検察が控訴

石郷岡事件・経緯←クリックすると経緯の記事を表示します




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また、営利目的、金銭の絡む事案及びプロパガンダ目的での文章の利用・引用等もお断りいたします。


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