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石郷岡病院事件・刑事裁判での意見陳述

今日、遺族の情状に関する意見陳述と検察の論告求刑がありました。
検察側は懲役8年を求刑しました。


以下私の、裁判で読み上げられるはずだった「心情に関する意見陳述」ですが
太字部分は、実際に法廷で読むことが叶わなかった部分です。
理由はご想像にお任せします(刑事裁判で遺族の陳述にこのようなことが起きるのは、異例のことだそうです。公判開始早々「異議あり!」と逆転裁判みたいですね)

裁判を傍聴された方のブログ記事↓
石郷岡病院事件、被告に8年の求刑






              心情に関する意見陳述



私は、この事件被害者の姉です。

弟は元来活発で友人も多く、今回、裁判の傍聴に来てくれた友人達もいます。
スポーツも得意で、いつもリレーの選手でした。
法政大学へ進学後も、友人達と楽しく交流をし、音楽も好きでバンドも組んでいました。
弟とは私の結婚後も交流があり、お互いの家を行き来していました。
そんな弟が大学時代に些細な事ですが、悩みを抱えて精神科へかかったことが悲劇の始まりでした。
薬の副作用によって首が曲がるなど症状が悪化してしまい最終的には、被告達が勤務する石郷岡病院へ入院することになりました。

忘れもしない2012年1月3日。弟が入院先の石郷岡病院から帝京大ちば総合医療センターに救急搬送されました。
その時、顔には広範囲に酷い痣があり、首から下が全く動かない状態でした。

とても普通ではなかったので、翌日、石郷岡病院へ事情を聴きに行こうとした矢先、弟が心肺停止に陥ったという連絡を受け、驚いた私達家族は入院先の病院へ駆けつけました。その時は辛くも蘇生しましたが、少しでも処置が遅れたら助かっていなかっただろうと、医師に言われました。
生死に関わるほどの大怪我をなぜ、石郷岡病院で負ったのだろう。
居ても立っても居られず、石郷岡病院へ説明を求めに行きました。

石郷岡病院に到着すると、院長と職員が監視カメラ映像を見ている最中でした。
そこで私と母は、院長と一緒に監視カメラ映像を見ることになったのです。
するとそこには、信じられないような光景が記録されていたのです。

静かに布団の上に座っていただけの弟の背後から職員達が近づき、
何も敷いていない床に無理やり引き倒され、ズボンを脱がせたまま、
そして寝かせたまま強制的に、口に食事を流し込まれていたのです。
座って食事ができるにもかかわらずです。


以前、取り寄せた看護記録に、弟の言ったこんな言葉が書かれていました。
「プライドを傷つけないで」

弟にとっては、このような医療行為とも呼べない虐待に近い行為は、屈辱以外のなにものでもなかったに違いありません。
これだけでも、とても驚きましたが、更に驚きの光景が続きます。
患者の気持ちを無視した、被告人らの行動が嫌でも目に飛び込んできました。
ズボンを履かせようと無理やり押さえつけ、田中被告人が弟のお腹に膝を乗せ体重をかけているように見え、弟が「苦しい、やめて」といった様子で出した手を払いのけ、苦しいのか弟が足をバタバタした直後、菅原被告人が立ち上がり、弟の顔を踏みつけ、頭を蹴るという、信じられないような光景を目の当たりにしてしまいました。

驚いた私は院長に「すみません、ビデオを巻き戻してもらえますか?」
と言って、暴行場面を改めて見せてもらいましたが、再度見てもこれは医療行為などではなく、暴行していると確信しました。
その後も、目を覆うような光景が目の前で展開されました。
弟の顔を踏みつけ、頭を蹴った菅原被告人が、弟のふくらはぎを踏みつけながらズボンを履かせていたのでした。
被告人らは弟にズボンを履かせると枕を投げ捨て、部屋を出て行きました。

裁判で被告人たちは、暴れる弟を抑制するために、押さえつけた正当な医療行為だと主張しています。しかし、顔や頭を数回に亘り「一瞬」だけ踏み付けたり、蹴ったりする行為が、抑える目的ではないことは明らかです。
もし仮に足で抑制することが目的だとしたら、菅原被告人がズボンを履かせたとき、弟のふくらはぎをずっと足で踏み続けていたように、一瞬だけではなく、抑え続けてなければおかしいと思います。


石郷岡病院を訪れた日の翌日、弟の面会に行きました。
弟は私の姿を見た途端、涙を流しました。
「病院の職員にやられたの?」と私が聞くと、弟は口をワナワナと震わせ、涙を流しました。
一所懸命に口を動かし何かを伝えたい様子でしたが、心肺停止になった時、気管切開をしてあるので声を出せません。弟は何かを伝えたかったに違いありません。

「必ず姉ちゃんが犯人を逮捕してもらうように警察にお願いするから、待っていてね」と弟の耳元で誓いました。
弟はそっと目を閉じました。

それから事態が進展せず、事件から3年半たって犯人逮捕となりました。
弟は闘病の末、犯人逮捕の報を聞くこともなく他界してしまいました。

この事件がなかったならば、弟は今でも五体満足に生きて、今月39回目の誕生日を迎えることができたはずでした。

本来、人の命を救うはずの病院で被告人らに暴行され、首から下が麻痺し、寝たきりになった弟の気持ちを想うと、いたたまれません。
それまで自由に動いていた身体がある日突然動かなくなるのです。
手も足も動かないのです。
歩くことさえ、できなくなるのです。
手も自由に使えないのです。
呼吸も困難になるのです。
自由を奪われたのです。
人間としての尊厳が奪われたのです。

弟が亡くなる直前に、彼がポツリと言った言葉を忘れることができません。

「俺の人生、間違っていたよ…」と。

そして亡くなる日、弟はずっと涙を流していました。
何時間もずっと涙を流し続けていました。
どんなに辛かったことでしょう。
どんなに悲しかったことでしょう。
どんなに悔しかったでしょう。
私は、あの日の弟の涙を想うと、今でも胸が張り裂けそうです。

被告人らは誰が見てもわかる、暴行場面を捉えた監視カメラ映像という証拠があるにもかかわらず、一貫して否認を続けています。
そして反省をするどころか、弟に責任を転嫁しています。

また、裁判では被告人らを除いて、弟が保護室に入った後に暴れた姿を見たと証言した人はいなかったと思います。女性の看護師が一人で弟のいる保護室へ入室をしても、暴力は振るわれなかったという証言もありました。
色々な証言を聞いていると、強引な職員の対応に弟が抵抗したことを「暴れた」とされているのではないかと思います。
菅原被告人が書いた事件当日の看護記録にも「抵抗著しく暴れ」と書かれています。しかし、監視カメラ映像の弟は暴れていません。
私には暴れているどころか、弟が両手を胸に置いて手を握り、怯えているようにすら見えます。


石郷岡病院の医師も含め職員達による、人を人とも思わぬ医療・看護行為が、今回の事件を招いたと強く思わざるを得ません。
家族は、弟がよくなると思い入院させたのです。
ところが家族が事件後に見た映像には、一般的な精神科医療とは程遠い事実が記録されていました。
病院は患者に寄り添った医療を行うべきなのに、これでは何のために入院をしたのか全くわかりません。
また、頚椎を骨折したまま、2日間放置されたのです。

監視カメラ映像を見てください。これが真実です。

また、事件が起きてから、病院や被告らから一度も反省や謝罪の言葉すらありません。
この5年間、弟をこのような事件で失ってからというもの、私達家族は悲しみに暮れる毎日です。本当に許すことはできません。

最後に、私は、被告人たちに言いたい。
あなたがたは医療従事者です。
あなたがたの仕事は、患者を助け患者に寄り添うことではないのですか?
あなたがたは、自分達のした行為について看護師として恥じぬ行動をしたと思っていますか?
あなたがたは、弟をひとりの人間として見ていましたか?
あなたがたには医療従事者としての誇りはありますか?

ビデオ映像に犯行が全て記録されているのに、反省の弁すら全くない被告人たちには、実刑判決を強く望みます。

以 上
平成29年3月2日





今日の法廷での出来事には非常に悔しく思います。
判決は3/14です。
裁判所の賢明な判断に期待したいと思います。




刑事裁判・検察側の論告求刑・懲役8年を求刑

本日、第10回目の刑事裁判の公判が開かれています。
石郷岡病院事件で、菅原、田中両被告に対し、検察側は懲役8年を求刑しました。

刑事裁判が終わったあと、この裁判についてブログに記事を書きたいと思います。

ある精神科医の意見書

以前、ある精神科医に意見書を書いていただきました。
病院の精神科部長や教授を歴任されている方です。
今日は一部をご紹介いたします。
なお、固有名詞などの一部は伏せてあります。



〇〇陽の医療について精神医学的見解

私は、〇〇氏より、2012年1月1日頚椎損傷し、2014年4月28日に死亡した〇〇陽(1978年3月31日生)の精神状態について、精神医学的診断を求められた。
よって、①市原T病院、〇〇医師による千葉大学精神科・〇〇医師宛の診療依頼書(2002年5月30日付)、②千葉大学精神神経科医師〇〇記述の病歴記録、③桜ヶ丘K病院宛の石郷岡病院精神科医師三宅俊樹による紹介状(2006年2月6日付)、④被告・石郷岡病院訴訟代理人弁護士松岡浩氏と弁護士浅田真弓氏による、石郷岡病院における診療経過を主に述べた準備書面2(2013年7月3日付)、⑤石郷岡病院入院時カルテの各コピーを読み、〇〇陽がうけた医療について検討する。

Ⅰ 抗精神病薬の副作用について
市原T病院受診当初より診断がでたらめであり、そのでたらめさに対応して、場当たりに投与された向精神薬の副作用により、〇〇陽の対人疎通性が悪化していったと推測される。
まず、市原T病院の〇〇医師によれば、2002年9月20日の初診において、「表情変化乏しく、反応鈍く、抽象的あいまいで、連合弛緩した言動が目立つ。関係妄想の存在が疑われる」と書いている。簡単な記述であるが、「連合弛緩」はE.BleulerがShizophrenie(精神分裂病、今日の日本訳で統合失調症)の最も特異的な思考障害として、鑑別診断の基本とした症状である。(なお、連合弛緩は思考の障害であって、連合弛緩した「言動」とは言うべきでない。)「関係妄想の存在が疑われる」と書かれているが、その妄想内容は書かれず、関係妄想を持っているのではなく、なぜ、「疑い」なのかも、書かれていない。
ともあれ上記の記述では、精神分裂病の診断が第一に選択されるにもかかわらず、「抗うつ剤投与で経過をみていた」と続く、でたらめな処方であり、薬品名は書かれていないが(注・SSRIのパキシルです)、もしSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などが投与されていた場合、情動鈍麻、無関心、無気力、衝動抑制の欠如などの作用が出ていたかもしれない。これら薬理作用に加えて、医師とのコミュニケーションがとれていない場合(本件も該当)、自分の精神状態の不快な変化をどう理解すればよいのか分からなくなり、困惑し、怒りやすくなったりする。この様な支離滅裂な医療について、その後の治療にあたった千葉大学精神科および石郷岡病院の医師も問題にしておらず、市原T病院からの紹介状をそのまま写し取っている。
その後、市原T病院は、危険な副作用が多いため極めて慎重に処方しなければならない「新世代(非定型)抗精神病薬」であるリスパダールを投与し、すぐ「振戦、首が曲がってしまう」という激しい錐体外路症状を患者に与えた。リスパダール投与は中止されたが、約一か月後、再び新世代(非定型)抗精神病薬であるジプレキサ(リスパタール、ジプレキサ、セロクエルともに新薬として薬剤価格が極端に高く、旧来から使われてきたセレネースの40倍薬価値の高い薬もあり、なかには製薬会社がマーケティングに最も力を入れてきた薬である)を投与している。そのためか、遅発性ジストニア、痙性斜頸になったのか、精神症状も悪化し、苦しんで「1月14日、ベッド柵に首を入れて、自殺企図」に到っている。以来、斜頸は改善せず、患者を苦しめ続けることになる。その後も何故か、市原T病院は、同じ様な多彩な副作用をもつ新世代(非定型)抗精神病薬のセロクエルを投与しており、「下腿の浮腫も出現、セロクエル減量し軽快する」と書いている。
結局、2002年5月末、市原T病院は、抗精神病薬投与がもたらした結果に対応できなくなり、千葉大学精神科に治療を委ねるに到った。
千葉大学では普通に、精神分裂病妄想型と診断され、斜頸についても「薬剤誘発性の遅発性ジストニアの可能性が高い」とし、上記抗精神病薬による悪性症候群、痙性麻痺を改善するためにダントロレンナトリウムが投与されている。筋肉が硬直し固縮した斜頸に対しては、BOTOX(ボツリヌス毒素)注射によって、ある程度の局所症状改善はみられたようだが、精神症状は良くならず、大学附属病院としての性格もあり、「家族の意向もあり」半年ほどで退院となっている。

Ⅱ 統合失調症の予後について
石郷岡病院へ診療が移って後、三宅俊樹院長による診断も理解しがたいものになっている。桜ヶ丘K病院〇〇医師にあてた紹介状によると、〇〇陽との対話形式から、「よく私も知りませんが」とことわって、「アスペルガー症候群などの発達障害も一応は念頭において経過を見直すべきか」と書いている。「よく知りもしない」のに、何故「念頭におく」ことができるのか、曖昧な文章である。
アスペルガー症候群を含む広汎性発達障害(あるいは自閉症スペクトラム障害)は、小児期に発症し、社会的な相互交渉およびコミュニケーションの障害と、反復的・限定的な関心興味の持続によって特徴づけられる中枢神経系の障害と定義されている。これまで普通に成長し、高等学校を卒業し、法政大学にも進学した人を、あえて発達障害の疑いと強調する必要はない。
それよりも精神科医として最も重要なことは、病者の一見まとまりなく見える言葉、行動の意味するものを想い、話しかけ、理解しようとしていく努力である。
(中略)
彼の人間性を理解しようとする精神医学的看護があることを、教えられることもない。その帰結として、2012年1月1日の事件は起こったと言えよう。
この様な患者の人間性に関心をはらわず、生活の調教にしか係ろうとしない視点から、損害賠償請求の民事裁判においても、〇〇陽が生涯入院していなければならない患者であり、稼得可能性はないという主張が出てきたと考えられる。
本件で統合失調症は、不治の病気であるという説が、石郷岡病院の理事長を兼務する、教育・研究職にある大学教授によってあえて唱えられたことに、精神科医として唖然とする。
(以下専門的な話)






石郷岡病院の民事裁判での理不尽な主張

民事裁判のほうは、刑事事件の結果を待つということで現在事実上、休止状態です。
未だに謝罪はおろか、事故調査委員会も設置せず、本件事故後(傷害致死事件でしょう)知らぬ存ぜぬを準備書面でも貫き通している
医療法人・石郷岡病院(東京女子医科大学・精神科特任教授である石郷岡純理事長。事件報道の渦中に女子医科大の理事長選に立候補と精力的に活動されているようですね)ですが
民事裁判のほうでも都合が悪くなるとカルテに記録が残っているにも関わらず、真逆のことを準備書面上で主張しています。

この事件後、弟が入院した病院の入院代を民事裁判で支払って欲しいというこちらの主張に対し、石郷岡病院は準備書面上でこう主張しています。





準備書面(6)

仮に本件事故がない場合、亡陽(原告)はその精神症状のために被告病院ないし他の精神科医療機関に入院し続けたであろうから、毎月の治療費実費から被告病院の本件事故前直近3か月の平均治療費である月額〇〇万円を各月の入院治療費より差引くべきである。
-中略-
早期の退院は困難で、以後も被告病院(ないし他の精神科医療機関)の入院治療費相当の治療費は負担することになったであろうから、それを差し引くのが公平の観点から妥当である。
本件では月額〇〇万円を超える治療費は支払われていなかったので、本件と相当因果関係のある損害たる治療費は0円となる。





簡単に言えば、「今回の事件がなくても原告は精神疾患だから、ずっと石郷岡病院か他の精神科病院に入院し続けてたはず。だから事件後に入院した病院の入院費(精神科ではなく、頚髄損傷・頚椎骨折・四肢麻痺の治療)をそのまま請求するのはおかしいですよね?
だって、事件がなければ石郷岡病院か他の精神科病院に入院しつづけて医療費を払いつづけるでしょう?
原告は粗暴なのですから(中略した部分)早く退院できない。
だから原告は入院費の請求額から石郷岡病院に入院していた時の治療費を差し引くべき。
そうすると0円ですね」です。

つまり、原告は事件がなくてもずっと精神科へ入院していたはずだから、事件後に負った障害(首から下が麻痺・寝たきり)のために入院している病院の治療費は払う必要がない(払いませんよ)、という主張です。
非常に理不尽極まりない主張です。

裁判ではそのように主張している石郷岡病院ですが、一方で証拠保全をしたカルテには、2回退院の打診をしたという証拠が残っているのですよね(平成23年10月7日及び12月19日)

実際には「退院どうですか?」と2回も退院をすすめておきながら、いざ事件が起こると今度は「原告は粗暴で早期退院もできず、精神科病院に入院しつづけたはずだから、事件後の入院費(治療費)は払いません」と矛盾した主張しているわけですよね。

因みに退院を打診されたとき、父がトイレトレーニングをお願いしたばかりに、事件のあった隔離室へ移動となってしまいました…
弟は向精神薬の副作用と電気ショックの後、粗相をするようになってしまいました。
他記事でも書きましたがトイレがあるのは開放病棟のみで、他は閉鎖病棟にはトイレがなく隔離室にしかトイレがないということで
医師の提案で、隔離室でトイレの様子をみながらトレーニングしましょうということで移動になった経緯があります。
以前から何度も書きますが、暴れているから隔離室ではありません(証拠もあります)
また、ずっと精神科病院に入院していたわけではなく、石郷岡病院へ入院する前は4年以上ずっと自宅療養です。
最初の入院は本人の同意書があり、向精神薬の副作用が強く出てしまったため入院するも多剤処方でジストニアが発生し
千葉大へジストニア治療のため入院。
2回目は千葉大へ入院。3回目が石郷岡病院です。最初の病院から石郷岡病院入院まで10年くらいですが、その間、精神科への入院期間は合計で1年満たない程度だと思います。


精神科の患者になってしまうと、このように病院の都合の良いようにころころと見解を変えられてしまうようですね。
世間の精神科患者への偏見も利用している気がします。一般的には、病院や医師信仰の強いこの国では、病院がいうのだから間違いはない、と思われてしまいがちです。


弟の件ではありませんが、精神科の患者への偏見を目の当たりにしたことを思い出しました。
以前、夏のある暑い日に、DV被害を受けた主婦のAさんが私に助けを求め駆け込んできたことがありました。
そこで私が警察へ通報したところ、バイクとパトカー数台がやってきて、警察官が10人くらい駆けつけてきました。
私やその場にいたBさん、Aさんへの事情聴取のあと、Aさんの夫へ事情聴取の後、明らかに警察の態度が変わったのです。
件の夫への聴取前は、Aさんへの対応も優しいものだったのですが、夫への聴取後そっけなくなったのです。
結局保護もなく、その理由を私が警察に聞いても教えてくれることもなく、暫くすると警察も帰ってしまいました。
Aさんは暫く実家へ身を寄せることになり、もし夫が実家へ近づいて来たら対応せず警察へすぐ通報するように言われました。
その時Aさんがこういいました。
「私が精神科へ通っているから、頭のおかしい人だと思われて警察にも信用されないんだ…」

それから2日後のことです。
Aさんから切迫した様子で電話があり「夫が実家の玄関のドアを叩いている、警察に電話しても対応してくれない。鍵を開けるな、だけ…」
そこで私から警察に電話して事情を話したのですが「本人に指示は出してあるんで」と、つれない返事でした。
正直驚きました。確かにあの日(警察を呼んだ日)何かあったらすぐ警察へ通報してくださいと言っていたのを私も聞いていたからです。

後日その謎が解けました。
警察へ通報したあの日、Aさんの夫が警察の聴取を受けている様子を中学生の娘さんが隠れて聞いていたそうです。
その時、夫は警察へ「妻は精神科へ通院しているんですよ。精神科へ入院したことだってあるんですから!」と言って
警察は納得をしていたようだという話でした。
娘さんにも話を聞きましたが、確かにDVはあるそうです。
精神科へ通院もしくは入院した経験があるというだけで、レッテルを貼られてしまうのだなと怖くなりました。
Aさんが精神科へ通院するきっかけが、不眠だったそうです。
不眠で精神科を訪れたら、まず睡眠薬が出て、あれよあれよという間にどんどん薬が増えていき
診断名も変わっていき、不眠症がうつ病になり、双極性障害になり、それに伴い薬も追加されていったそうです。
私が見た時にはデパス、パキシル、リスパダール、マイスリーなどを所持していました。
副作用のためか舌に歯型がついて、デパスが切れると首が硬直して固まってしまい、眠れず
薬を飲んで寝ると夢遊病のように徘徊をしてしまったり、気づくと車で同じ道をぐるぐる回っていたり
記憶喪失みたいに記憶がなくなったりするそうです。
当然薬を飲む前は全てなかった症状だそうで、最近ではサチュレーションが低下、低血圧、異常なコレステロール高値となり
どの病院へ相談しても原因不明といわれ今度はコレステロール低下剤などが出るそうです…
どんどん悪化して精神科病院へ入院して何か起こらなければいいなと願うばかりです。


そういえば、Aさんの件で駆けつけた警官の方と少し立ち話をしたのですが、その時彼(20代だと思います)が言ったことが印象に残っています。

「自分から線路に飛び込んで電車が来て助けて助けてってね…正直無理ですよ。助けてもまた自分から線路に飛び込んじゃうから。自分で気づいて線路に飛び込むのやめないと同じことの繰り返しになっちゃうと思うんですよね」

刑事裁判の日程が決まりました

ご無沙汰しております。
長らく更新せず、申し訳ありません。

石郷岡病院事件の刑事裁判の日程が公表されました。
当該裁判は、裁判員裁判となります。
裁判日程は、千葉地方裁判所のHPでも確認いただけます。
千葉地方裁判所





平成27年(わ)第1567号
被告人 菅原巧、田中清
事件名 傷害致死

千葉地方裁判所刑事第5部B合議
第703号法廷(7階)

第1回公判2/15午前10時
第2回公判2/16日午前10時
第3回公判2/17日午前10時
第4回公判2/21午前10時
第5回公判2/22午前10時
第6回公判2/23午前10時
第7回公判2/24午前10時
第8回公判2/27午前10時(菅原巧被告)
第9回公判2/28午前10時(田中清被告)
第10回公判3/2午前10時
判決3/14 15時



事件から丸5年経過しました。

やっと事件の被告人達が裁かれる日がやってきました。

ビデオがあるにも関わらず、当初から否認をし黙秘をし続ける被告人達ですが、裁判では何を話すのでしょうか。

1人の人間を、その行為で死に至らしめたことへの償いはして頂きたい。

反省の言葉の一つもない被告人達にどのような判決が下るのか。

涙を流し亡くなっていった弟…

虫けらのように扱われ、どんなに無念だったことでしょう…

判決が出ても故人は戻ってきません。

多くの精神科病院は、この事件の事を意に介さないかもしれません。

しかし二度と同じような悲劇が繰り返さないことを、少しでも多くの精神科病院の入院患者さんが

このような事件に遭遇することを免れるためにも

厳正な裁判、判決を望みます。









プロフィール

gunter75

Author:gunter75
このブログは姉である【私個人】がやっています。



●プロフ画像は、弟が薬剤性ジストニアになったあと、友人たちがリレーで色紙を書いてくださり、お見舞いの時にいただいたものです。



●医療法人 石郷岡病院を許しません!!
絶対に諦めません!!(2015/12/31現在、病院からの説明・謝罪等は一切ありません。2012/1/4以来全く接触もありません)


●事件の流れ
2012/1/1石郷岡病院の2准看護師が弟を暴行→1/2朝には病院側は異変に気づきながらも放置。診察もしていないのにも関わらずカルテに「著変なし」、1/3昼過ぎ救急搬送→1/4一時心肺停止するも蘇生→2014/4/28療養先の病院で息を引き取る→2014/4千葉県警千葉中央署捜査第一課捜査開始→2015/7/8石郷岡病院の暴行した2准看護師逮捕→2017/3/14 千葉地裁(高橋康明裁判長)は、正当な医療行為として田中氏無罪、菅原被告に罰金30万の不当判決(公訴時効成立の暴行罪)を下した→3/28検察が控訴

石郷岡事件・経緯←クリックすると経緯の記事を表示します




※拡散以外の目的で文章及び画像等を使用することは固くお断りいたします(個人様のブログ等で精神科への問題提起等のために使用することはOKです)
その際、当ブログのURLを貼っていただければ幸いです。

また、営利目的、金銭の絡む事案及びプロパガンダ目的での文章の利用・引用等もお断りいたします。


※当方は、いかなる団体にも属しておりません。

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